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2006年10月30日
これは何でしょう?(答え)
10月29日水戸駅にて撮影
これが「キオスク」の入口です。たまたま、左横の特急電車(フレッシュひたち)が同じカラーリング。こちらは走りませんが。
投稿者 Tsuguaki : 00:05 | コメント (0)
2006年10月29日
これは何でしょう?
10月29日水戸駅にて撮影
今日は茨城まで出かけました。水戸駅のホームに特急がめり込んでいる?右横は本物の特急電車。
実は「キオスク」。以前この記事を見たことはあったのですが、実物にギョッ!でかっ!思わずパシャ!
この仲間、もう一つ神奈川県の藤沢駅にもあります(こちらは湘南電車)。
投稿者 Tsuguaki : 20:00 | コメント (0)
2006年10月28日
【整理整頓企画1】取扱説明書やドライバーCDをすっきり整理!人気の『取扱説明書ファイル』の記事
http://arena.nikkeibp.co.jp/trend/zoom/20061023/119380/
これ、便利です。別件で五反田TOCに出かけた時に発見!自宅で法人用と個人用で使っています。法人用はクリアーケースでは入りきらない議事録に、個人用は使用目的に合致したパソコンやインターネットの取扱説明書を入れています。ちょっとしたアイディアがヒット商品を生む素になっていることに感心します。必要な時に取扱説明書がどこにあるのか分からなかったのがこれで解決!こういう商品が大好きです。
投稿者 Tsuguaki : 23:42 | コメント (0)
2006年10月27日
非核三原則より非イデオロギー三原則がこれからの日本に必要だ。
ご存知のとおり核を①作らず②持たず③持ち込ませずが非核三原則であるが、今の日本の政治及び市民活動には核をイデオロギーに変えた方がいい場面が多いと感じている。
金科玉条のごとく憲法9条は守らなければならない・市民運動とはこうするものだと説教じみている話にはうんざりしている。まずは疑問を持つことを教えない教育に問題があるように思えてならない。政治も市民活動も宗教ではない。「国民の生命と財産を守る」観点及び国家としての独立を考えるなら真正面から議論することが民主主義ではないかと思う。また、市民にとって何が良いのかを考える時にいわゆる「対当局的」発想で対案なき批判が前面に出るのははっきり言って「簡単」だと思う。
神社に参拝しに行くのと同じ感覚で政治と市民活動をすることは危険である。また、被爆国であるから非核三原則というのも憲法同様時代に合わなくなっているのではないだろうか。本質的な議論がないからこそセンセーショナリズムが蔓延し、逆に日本が戦争に巻き込まれてしまう危険を感じるのは私だけだろうか。小泉政権が生まれたように。
投稿者 Tsuguaki : 01:27 | コメント (0)
2006年10月25日
『民主党 衆院2補選「2敗」に責任問う声出ず』の記事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061025-00000003-maip-pol
反省だけならサルでもできる。ということはサル以下か?サルに失礼だとは思うが、懲りない組織に失望感を覚える。確かに反省を述べれば責任論に発展する可能性があることは否定しないが、口をつぐんでしまうのもどうかと思う。民主党に対する市民の期待と裏腹にその期待が何であるか、私たちはどうしなければならないのかを常に問わなければならないはずなのにこれはどうしたことか。人それぞれの違いの中でどの点で個々人が一致して活動するという組織ではなく個人の意識が欠如し、流されるままに党運営を行っているように思えてならない。そのような人しか集まらない集団と化してしまったことに私が何もすることが出来ない辛さと深い悲しみを覚える。私に何ができるのか現在は思い当たらないし、気力が湧かない。
民主党が大きくなっていく過程でこのことをなおざりにしてきたのではないかと思う。この状態が続く限り「政権交代」など無理であろう。仮に「政権交代」したとしても中身(政策)のない足腰(選挙)を鍛えることは風頼みよりはある意味ましかもしれないが、党組織の疲弊と内外の失望感を増大させることにしか過ぎないのではないだろうか。刹那主義の代償が時間が経てば経つほど大きくなると私は考えている。
投稿者 Tsuguaki : 22:49 | コメント (0)
2006年10月23日
小泉チルドレンと小沢チルドレンの共通性
昨年の総選挙で大量当選した「小泉チルドレン」と片や新進党→自由党→民主党と純化路線から党内主流派となりつつある「小沢チルドレン」は一見したところ似て非なるように見える。しかし、私は思う「本質的には同じ」。究極は某国の「偉大なる首領様」と同じではないかと危惧している。当人たちは個人として「考えている」と言うだろうが、親亀こければ子亀もこけるのごとく雲散霧消するであろう。「小泉チルドレン」はそのような状態になってきた。首相でなくなったというのもあるが、以前フジテレビがキャッチフレーズに使っていた「軽チャー」路線まっしぐらだ。「小沢チルドレン」はしぶといようだが旧来の自民党の手法である単なる選挙「どぶ板」軍でしかないように思う。飛び込み営業・歩合給制の営業マンとでも言うべきか。営業マンの方が良かったりして。政治はハイリスクノーリターンな世界であるがゆえに相変わらず容認されているように思う。確かに「費用対効果」を考えれば「どぶ板」も間違いではないが。
しかし、両方の「親亀」に「人を見る目」がないように思えてならない。ついてくるなら「誰でもいい」的なのと「嫌なら出てけばいい」という姿勢が見え隠れする。「親亀」は寄って来る「子亀」を見抜き、怪しい「子亀」は恨まれようと切り捨てる非情さがなければ「親亀」もこける要因になることを認識しておくことが必要であると思う。以前にも書いた①政策としての政治②選挙としての政治のうち、②でしかないと思う。①を考えるならこのような姿勢にはならないはずだ。
派閥政治を否定しておきながら、結局は派閥政治以下の「選挙屋集団」に成り下がっているように思えてならない。政治家は一人でも旗を立て、共通できるところで政党を作らなければならないのではないかと思う。自民党の派閥は本来「政策集団」なのだから。「悪貨は良貨を駆逐する」ような組織なら壊して作り直せばいい。壊すのが嫌だとすれば単にしがみついているだけだろう。両方とも我に帰ったときはすでに時代から置いてきぼりになっているようなグループだと思う。これらは民主主義の対極にある。また、進化と言う言葉の多極にあるように思えてならない。私は一人で旗を立て続けようと思う。
投稿者 Tsuguaki : 19:12 | コメント (0)
2006年10月22日
『自殺中2の同級生「先生がからかったので…」と両親に』の記事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061022-00000212-yom-soci
以前にも書いたが、永久免許制の問題点が露出したように思われる。医師免許も同様だが一度取得してしまえば教師としての適性が低下しても免許剥奪ができない。現状の教員免許制度では社会経験の必要性がなく、学生・生徒にとって「絶対的」立場に立つことができることは危険であると思う。ある意味「調子に乗ること」が可能な立場にある。人間はどこまで自分を律することができるのだろうか。個々人の姿勢のみに頼るのではなく、一定の基準が必要なのではないだろうか。何度も言っているが組織を維持するための組織ならいらない。要は管理者が出世に響くということであろう。無難に過ごすことが出世につながるのであれば機械にやってもらった方がいいのではないだろうか。
投稿者 Tsuguaki : 22:24 | コメント (0)
2006年10月09日
へっぽこ軍曹進軍結果!
http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/gyouseijouhou/shisaku/senkyo/20061008/01.html
(品川区長選挙・区議補欠選挙結果)
政治とは①政策としての政治と②選挙としての政治があると考えている。
今回、へっぽこ軍曹(私)は表に出る役割はなかった。当然②の役割になるのだが、両方ともいい結果であった(祝!)。今回の結果を見てひとつ言えることがある。もう、若ければいいという時代は終わったのではないだろうか。そして、センセーショナリズムで中身のないものはだめだと言うことではないだろうか。でも、投票率の低さは問題だ(これは私の予想通りになってしまった)。
私は政治家は官僚でも二世でも構わないと思っている。むしろ問題は①「志」があるか②「信念」を貫けるかだと思う。有権者に媚びる政治は見抜かれていると思っていない部分が「政治業界」の一部に残っていると思う。②選挙としての政治の「勝つためのマニュアル」だけの選挙として考えているのがだめなのだ。
ただ残念なのは表に出ていないので情勢が分からなかったこと。へっぽこ軍曹の「民主主義の戦争(選挙)」の戦場での10年間の経験であるが投票日3日前の情勢で勝敗が決まると考えている。自らが戦場に出兵(立候補)した時はやはり3日前に燃え尽きていた。友人からも「お前の目は死んでいる」と言われ、ばれてしまっていた。
「民主主義の戦争」も勝たなければ意味はない。しかし、勝つためだけで冒頭の①政策としての政治がおろそかになっているのではないかと危惧している。しかし、①だけだと勝てないこともまた事実である。市民が政治家を育てる土壌を日本に作る必要がある。
投稿者 Tsuguaki : 21:49 | コメント (0)
2006年10月08日
『10月の月例パッチで「Windows XP SP1」のサポートが終了』の記事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061006-00000019-imp-sci
さあ大変!アップグレードしてなかった。というかあまり評判がよくなかったのでしていませんでした。しかも、自宅のPCがSP2にしてからクラッシュしたので、ハードディスクを交換した後はSP1のままにしていました。ハードディスクの問題かもしれませんが。
さすがに、サポートが終わるとなるとそのままにする訳にもいかないので、今週会社と自宅のPCをSP1からSP2にアップグレード。会社のノートPCはハードディスクの空きがほとんどなくなる。大慌て!自宅はデスクトップ・容量が大きいため平気。両方ともしっかりディスクデフラグをして圧縮・高速化。さくさく動くぞ…
投稿者 Tsuguaki : 00:25 | コメント (0)
2006年10月01日
「低所得者の生活実態 、米国のそれは日本の明日の姿か」の記事
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/bookreview/09/index.html
(日経BPの記事)
私なりに小泉政権の5年間の総括をしたいと思う。「自民党をぶっ壊す」と言いながら本当に壊したものは「社会規範」ではないだろうかと考えている。法律で明文化されているものではなく、日本国民が今まで築きあげてきた「他者への配慮」を悉く破壊し、「文句があるなら勝ってみろ」「やったもん勝ち」「俺が法律だ」とばかりに地方そして労働・福祉・教育などの生活環境を「勝者優先」社会に一変させてしまったのではないだろうか。
このことを実行するための手段として「安っぽいナショナリズム」を煽り、政治家の質を単なる「自分のパシリ」か「票もらい乞食」程度になり下げてしまったのではないだろうか。野党側にも問題がある。未だにイデオロギーの呪縛から解放されていないのか、圧倒的かつ感覚麻痺的なセンセーショナリズムになす術がないだけでなく、逆に提灯持ちと化した者もいた。当たり前であるが現代社会は労働・資産を提供し、その対価として金銭を得ることによって日々の糧(食糧)を得る。原始時代のように狩猟して日々の糧を得るわけにはいかない。
「誇りの持てる日本」これは私が選挙に立候補した時のキャッチフレーズ。「安っぽいナショナリズム」ではない、国家ではなく日本に住む人一人一人が誇りの持てる社会を創ることが政治家の責務であると考えているからだ。この気持ちは政治に魅力を感じなくなり距離を置いている今も変わってはいない。政治というより政党に魅力がないからと言うほうが正しいのだと思うが。むしろ、この5年間で日本社会がさらに失われつつあることを危惧している。どんな仕事であれ社会に貢献しているはずだ(犯罪・詐欺集団は別だが)。一人一人が誇りの持てない社会そしてその集団としての国家がいい国と言えるのだろうか。
この記事に示されている歴史の証明として①貧困層が立ち上がっての革命②極端な愛国主義の台頭のどちらの選択であっても国が滅ぶことが証明されている。従来型のイデオロギーからの呪縛を解き、過酷な挑戦であるがこのどちらでもないものを創りそして明日を切り拓いていかなければならないと思う。人間は考える葦なのだから。