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2006年10月23日

小泉チルドレンと小沢チルドレンの共通性

昨年の総選挙で大量当選した「小泉チルドレン」と片や新進党→自由党→民主党と純化路線から党内主流派となりつつある「小沢チルドレン」は一見したところ似て非なるように見える。しかし、私は思う「本質的には同じ」。究極は某国の「偉大なる首領様」と同じではないかと危惧している。当人たちは個人として「考えている」と言うだろうが、親亀こければ子亀もこけるのごとく雲散霧消するであろう。「小泉チルドレン」はそのような状態になってきた。首相でなくなったというのもあるが、以前フジテレビがキャッチフレーズに使っていた「軽チャー」路線まっしぐらだ。「小沢チルドレン」はしぶといようだが旧来の自民党の手法である単なる選挙「どぶ板」軍でしかないように思う。飛び込み営業・歩合給制の営業マンとでも言うべきか。営業マンの方が良かったりして。政治はハイリスクノーリターンな世界であるがゆえに相変わらず容認されているように思う。確かに「費用対効果」を考えれば「どぶ板」も間違いではないが。
しかし、両方の「親亀」に「人を見る目」がないように思えてならない。ついてくるなら「誰でもいい」的なのと「嫌なら出てけばいい」という姿勢が見え隠れする。「親亀」は寄って来る「子亀」を見抜き、怪しい「子亀」は恨まれようと切り捨てる非情さがなければ「親亀」もこける要因になることを認識しておくことが必要であると思う。以前にも書いた①政策としての政治②選挙としての政治のうち、②でしかないと思う。①を考えるならこのような姿勢にはならないはずだ。
派閥政治を否定しておきながら、結局は派閥政治以下の「選挙屋集団」に成り下がっているように思えてならない。政治家は一人でも旗を立て、共通できるところで政党を作らなければならないのではないかと思う。自民党の派閥は本来「政策集団」なのだから。「悪貨は良貨を駆逐する」ような組織なら壊して作り直せばいい。壊すのが嫌だとすれば単にしがみついているだけだろう。両方とも我に帰ったときはすでに時代から置いてきぼりになっているようなグループだと思う。これらは民主主義の対極にある。また、進化と言う言葉の多極にあるように思えてならない。私は一人で旗を立て続けようと思う。

投稿者 Tsuguaki : 2006年10月23日 19:12

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