« 小泉チルドレンと小沢チルドレンの共通性 | メイン | 非核三原則より非イデオロギー三原則がこれからの日本に必要だ。 »

2006年10月25日

『民主党 衆院2補選「2敗」に責任問う声出ず』の記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061025-00000003-maip-pol
反省だけならサルでもできる。ということはサル以下か?サルに失礼だとは思うが、懲りない組織に失望感を覚える。確かに反省を述べれば責任論に発展する可能性があることは否定しないが、口をつぐんでしまうのもどうかと思う。民主党に対する市民の期待と裏腹にその期待が何であるか、私たちはどうしなければならないのかを常に問わなければならないはずなのにこれはどうしたことか。人それぞれの違いの中でどの点で個々人が一致して活動するという組織ではなく個人の意識が欠如し、流されるままに党運営を行っているように思えてならない。そのような人しか集まらない集団と化してしまったことに私が何もすることが出来ない辛さと深い悲しみを覚える。私に何ができるのか現在は思い当たらないし、気力が湧かない。
民主党が大きくなっていく過程でこのことをなおざりにしてきたのではないかと思う。この状態が続く限り「政権交代」など無理であろう。仮に「政権交代」したとしても中身(政策)のない足腰(選挙)を鍛えることは風頼みよりはある意味ましかもしれないが、党組織の疲弊と内外の失望感を増大させることにしか過ぎないのではないだろうか。刹那主義の代償が時間が経てば経つほど大きくなると私は考えている。

投稿者 Tsuguaki : 2006年10月25日 22:49

コメント

コメントしてください

サイン・インを確認しました、 さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)

(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)


情報を登録する?