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2006年10月01日

「低所得者の生活実態 、米国のそれは日本の明日の姿か」の記事

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/bookreview/09/index.html
(日経BPの記事)
私なりに小泉政権の5年間の総括をしたいと思う。「自民党をぶっ壊す」と言いながら本当に壊したものは「社会規範」ではないだろうかと考えている。法律で明文化されているものではなく、日本国民が今まで築きあげてきた「他者への配慮」を悉く破壊し、「文句があるなら勝ってみろ」「やったもん勝ち」「俺が法律だ」とばかりに地方そして労働・福祉・教育などの生活環境を「勝者優先」社会に一変させてしまったのではないだろうか。
このことを実行するための手段として「安っぽいナショナリズム」を煽り、政治家の質を単なる「自分のパシリ」か「票もらい乞食」程度になり下げてしまったのではないだろうか。野党側にも問題がある。未だにイデオロギーの呪縛から解放されていないのか、圧倒的かつ感覚麻痺的なセンセーショナリズムになす術がないだけでなく、逆に提灯持ちと化した者もいた。当たり前であるが現代社会は労働・資産を提供し、その対価として金銭を得ることによって日々の糧(食糧)を得る。原始時代のように狩猟して日々の糧を得るわけにはいかない。
「誇りの持てる日本」これは私が選挙に立候補した時のキャッチフレーズ。「安っぽいナショナリズム」ではない、国家ではなく日本に住む人一人一人が誇りの持てる社会を創ることが政治家の責務であると考えているからだ。この気持ちは政治に魅力を感じなくなり距離を置いている今も変わってはいない。政治というより政党に魅力がないからと言うほうが正しいのだと思うが。むしろ、この5年間で日本社会がさらに失われつつあることを危惧している。どんな仕事であれ社会に貢献しているはずだ(犯罪・詐欺集団は別だが)。一人一人が誇りの持てない社会そしてその集団としての国家がいい国と言えるのだろうか。
この記事に示されている歴史の証明として①貧困層が立ち上がっての革命②極端な愛国主義の台頭のどちらの選択であっても国が滅ぶことが証明されている。従来型のイデオロギーからの呪縛を解き、過酷な挑戦であるがこのどちらでもないものを創りそして明日を切り拓いていかなければならないと思う。人間は考える葦なのだから。

投稿者 Tsuguaki : 2006年10月01日 15:56

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