« 2006年05月 | メイン | 2006年07月 »

2006年06月28日

Yahoo!オークション(smiley編49)

an4129mido-img600x450-1125325115050806_028.jpg
見てのとおりパジャマ!を落札しました。これは私が着ます。LLサイズです。大人ものもあるんだ♪
あと1つでヤフオクでGETしたスマイリーグッズが50個になります。(集めたな~)
早速、今日はこのパジャマで寝ます。おやすみなさい。

投稿者 Tsuguaki : 20:07 | コメント (0)

2006年06月27日

Yahoo!オークション(smiley編48)

hoshinokinka517-img600x450-1149137395jpg_509.jpg
見てのとおりシャープペンです。
遅ればせながら、Harbot(名前…すまいりー)をこのぶろぐ(右下リンク欄)に作りました。寂しがりなのでかわいがって下さい。お越し頂いた皆様に楽しさも付け加えたぶろぐにしていきます。
http://www.so-net.ne.jp/harbot/
(So-net ハーボット)

投稿者 Tsuguaki : 18:55 | コメント (0)

2006年06月26日

「<奈良高1放火殺人>事件の真相は 専門家が分析」の記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060624-00000122-mai-soci
あえて言いたい「勉強」ってそんなに大事なのか。誰のために「学ぶ」のかという視点が欠けているような気がしてならない。私は大学を出ているが、高等教育を受けるということはそれだけ社会のために「還元」することだと考えている。他人に自慢するため・自己満足の学歴・進学なら意味はないと思う。これでは「教育」でも「教養」でもない。
極論であるが、義務教育でない高校と大学は半分はいらないのではないかと以前から思っている。「一人一人がやりたいことができる社会」とは学校に行くだけではないはずだと思う。また、私は中学・高校時代に塾と予備校に通ったが、学ぶ楽しさは「塾」や「予備校」で学んだと思う。「学校」の本質は「学問」を教わることで「躾」を身につける所ではない。
残念ながら、現状は逆転しているのではないだろうか。教師だけではなく、親にも問題があるのではないだろうか。このような事件が起こる度に考える。親の願う幸せは子の幸せではないことを。
親に反発しながら結局親と同じ道を行っていることを親がいなくなってから気がつく私ではあるが。私の学生時代よりは多様な生き方ができることにうらやましさを感じながら。

投稿者 Tsuguaki : 00:21 | コメント (0)

2006年06月25日

てるてるあした きょうはないても あしたはわらう

http://www.tv-asahi.co.jp/teruteru/index.html
(テレビ朝日「てるてるあした」)
終わってしまった…。「ガチバカ!」に続き、黒川智花ちゃんの演技が見たくて見はじめたのですが、心温まるドラマを久しぶりに見たように思います。私の両親は両方とも他界しているので、今更どうしようもないのですが。最近、故郷のことを思うと涙が出ます。
でも、私の苗字の「原田」は本当は名乗りたくないのです。しかし、母親が姓名判断で苗字と名前の画数で名付けられているので変えることはできないと思っています。振り返って見るとしょうがない両親だとは思いましたが、親は選べません。多くの人との出会いが今の私を支えています。血のつながりより心のつながりが私にとっての支えです。人は一人では生きてはいけないと思います。これからもいい人との出会いを大切にしたいと思います。
「人生は最悪の時からはじまる」…いい時は何も考えなくてすむから。

投稿者 Tsuguaki : 01:06 | コメント (0)

2006年06月24日

「携帯電話マナー上級者はビジネスも上級者?」の記事

http://www.dreamgate.gr.jp/fastnavi/manners/serial/2006061901/
(起ちあがれニッポン「ドリームゲート」より)
私は仕事でも個人でも携帯電話には基本的に出ません。(出れる場所にいた場合のみ出ます。)
電車の中での通話はマナー違反もありますが、業務的な話や大事な話などをどういう人が乗っているのか分からない所でしたくないというのが一番の理由です。誰が聞いているのか分かりませんから。

投稿者 Tsuguaki : 23:20 | コメント (0)

2006年06月22日

「情報社会に挑戦するジーコ・スタイル」の記事

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20060614/104346/
(日経BPの記事)
ワールドカップのクロアチア戦は日本にとっては残念な結果であった。私も常々思うが「既成概念」に挑戦することは一方で対立を生み出すことではあるが、また「多様性」をどこまで認めるのかを考えることでもあると考えている。成熟した民主主義とは「自発性」がどこまで確立されているかということだと思う。最近の日本の状況を考える時、この「自発性」が薄らいでいると思えてならない状況が多発しているように感じられる。
友人との会話の中で「○○ファッショ」が話題になった。政治的に言えば「改革ファッショ」と言えるだろう。社会的に言えば「安全ファッショ」とも言える。生活的に言えば「ダイエットファッショ」と言えるのではないだろうか。まだまだあると思う。本質をそれぞれが考えるための情報が少ないあるいは偏った中での判断は非常に危険である。イメージのみで安易に考え、判断することの代償は大きいはずなのだが。

投稿者 Tsuguaki : 00:12 | コメント (0)

2006年06月21日

「<光市母子殺害>無期懲役を破棄、審理差し戻し 最高裁」の記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060620-00000063-mai-soci
犯罪被害者の意思が司法を超えた画期的判断だと考える。以前から気になっていたことではあったが、「人権」を声高に叫んできたのは「加害者」を支援する人たちではなかったかと思っている。「人権」派と呼ばれている人たちには正直胡散臭さを感じて共感できなかったし、共感したいとも思わない。偽善あるいは屁理屈にしか思えない。
昨日の報道ステーションで遺族の方の話を聞き、この人たちを守れない社会とは何かを考えてしまう。被害者支援の活動が本当に正しいのかを被害者自身が自問自答し、悩みながら判断をしてきた姿に今までの「人権」とは何だったのかを問いかけたのではないかと考える。
私自身市民活動をしながら思うことだが、「本当に正しいのか」を自問自答している。活動とはそのような連続ではないかと思う。自分たちが「正義」だと思ってしまう危険性を常に孕んでいると考えていた中で、今回の発言は共感できるものであったし、加害者も被害者もない社会をつくるために私自身も何ができるかを考え続けていきたい。一市民として政治の責務は重いと思う。

投稿者 Tsuguaki : 00:10 | コメント (0)

2006年06月20日

Yahoo!オークション(smiley編47)

junkochin1031-img600x420-1147767583smiley-2.gif
先月、落札してたのですが、載せるのが遅くなりました。m(_ _)m
でも、ネックストラップが見つからない… ヤフオクの私の評価の半分以上が「スマイリーグッズ」なんです。私のIDでびっくりした出品者の方もいらっしゃいました。そう、スマイラー?なんです。
実はヤフオクで賢い「主夫?」生活してます。落札ばかりですが。

投稿者 Tsuguaki : 01:24 | コメント (0)

2006年06月19日

「商売は「難しいことば」で考えてはいけない」の記事

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20060616/104561/
(日経BPの記事)
商売が「金儲け」の道具に過ぎないのか。ここで原点に立ち返る必要性を感じる。私は「百文は一見にしかず」ではないが、「百論は一動にしかず」と考えている。理屈を聞くのも言うのも好きではない。特に理屈を聞いている時は頭痛がする。私自身高度な知識を身に付ける能力は持ってはいないと思っているので「やって見なければ分からない」と言いながらやってみて失敗することが多いが、でも失敗から学ぶことの方が多いと思う。他の能力でカバーするしかないと常々思う。スーパーマンになれないし、なるつもりもない。確かに難しい言葉を言うときは「インテリ」ぶっている時かもしれない。
「知識」のある人より、「知恵」のある人に私はなりたいと思う(賢くないのもあるが)。教育も「知恵」を生み出す能力を引き出すことが必要なのではないだろうか。

投稿者 Tsuguaki : 22:20 | コメント (0)

2006年06月16日

【産学官会議】経団連会長の御手洗氏,「国づくりも人づくり」の記事

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060612/118077/
最近、忘れ去られていたことが大切であることを提起したと思う。会社が儲ければ人はどうでもいいと傾向が最近は幅を利かせているように思われる。人をモノ扱いする呼び方の「人的資源」という言葉が以前から私には不快に感じていた。日本社会が見えないそして形のない「組織」に囚われることから脱却し、「人」の集団であることを再認識することが日本社会の活力を取り戻す原動力であると考える。また、新たな連携が活力を増大することにもなる。
このような連携と同様に政治と経済の連携も必要であることを私は感じている。マクロ的視点を忘れればどうなるか、むしろ、マクロ的視点で見ることが今の日本社会の問題点を浮き彫りにし解決策(処方箋)が描けるのではないだろうか。ミクロ的問題は見えやすいし批判もしやすい。しかし、問題の本質(バックグラウンド)を考える視点がなければ、応急処置に過ぎない。本質の追求は続く。

投稿者 Tsuguaki : 22:23 | コメント (0)

2006年06月09日

「4人に1人が過去1年間に大切なデータ損失、半数近くがバックアップせず」の記事

http://www.nikkeibp.co.jp/news/flash/505724.html(日経BPの記事)
パソコンがクラッシュしてからこのぶろぐを書く気力が失せてしまった… m(_ _)m
バックアップは確かに「面倒だから」といえますが、私も今回から①外付けハードディスク②CD及びDVD③オンラインストレージなどにバックアップを開始しました。大切なデータもウイルス対策と同様に何重にも備えておかなければならないことを実感している今日この頃です。でもうっかり消してしまったデータも復旧できる体制にはなりましたが、ハードディスクや各種メディアをフォーマットをしてもデータは消えないことも実際にデータ復旧ソフトを使うことで認識できました。

☆参考(私のウイルス対策)
メール⇒①ドメインサーバ⇒②プロバイダサーバ⇒③パソコンソフトの三重ウイルスチェック!(スパムメール対策も同じ流れでチェックしています)

投稿者 Tsuguaki : 01:07 | コメント (0)