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2006年06月26日

「<奈良高1放火殺人>事件の真相は 専門家が分析」の記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060624-00000122-mai-soci
あえて言いたい「勉強」ってそんなに大事なのか。誰のために「学ぶ」のかという視点が欠けているような気がしてならない。私は大学を出ているが、高等教育を受けるということはそれだけ社会のために「還元」することだと考えている。他人に自慢するため・自己満足の学歴・進学なら意味はないと思う。これでは「教育」でも「教養」でもない。
極論であるが、義務教育でない高校と大学は半分はいらないのではないかと以前から思っている。「一人一人がやりたいことができる社会」とは学校に行くだけではないはずだと思う。また、私は中学・高校時代に塾と予備校に通ったが、学ぶ楽しさは「塾」や「予備校」で学んだと思う。「学校」の本質は「学問」を教わることで「躾」を身につける所ではない。
残念ながら、現状は逆転しているのではないだろうか。教師だけではなく、親にも問題があるのではないだろうか。このような事件が起こる度に考える。親の願う幸せは子の幸せではないことを。
親に反発しながら結局親と同じ道を行っていることを親がいなくなってから気がつく私ではあるが。私の学生時代よりは多様な生き方ができることにうらやましさを感じながら。

投稿者 Tsuguaki : 2006年06月26日 00:21

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