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2006年07月27日
「残業大国ニッポンを憂う」の記事
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20060724/106688/
(日経ビジネスの記事)
日本の企業に欠けているのは「効率を追求し、最大の効果を得る」ために科学的に分析することではないだろうか。私は「サービス残業」をする会社には勤務したことはありませんが、前近代的であると思う。
記事のリンクや以前、落合信彦氏の著書の中にもあるのだが、セックスに例えると「サービス残業」とは会社(法人)だけが「気持ちよくて」個人はちっとも「気持ちよくない」ということになるのではないだろうか。また、「忠誠心」を「恋愛」に例えるとこれはSMの世界の「マゾ(M)」なんじゃないかと思ってしまう。そこまで「責められて」気持ちいいのだろうかと思う。これが「当たりまえ」ということが危険であるが、友人の話を聞くと「考える暇がない」まで「責められている」ということになる。これでいいのか!日本は本質的には貧しいのではないかといつも思う。
私は「公益事業」と呼ばれる電気・ガス・水道や「公共交通機関」と呼ばれる鉄道・バス・タクシー・航空・船舶や財団法人などの「公益法人」だけが「公共性」があるとは思っていない。商品やサービスを提供する企業も社会に「貢献する」と言う点において「公共性」があると考える。「公器」とは同じ意味であると思う。競争を促進し、豊かな社会を築くという視点であれば「サービス残業」を残存させる企業こそ「淘汰」されるべきものではないか。本末転倒な競争原理がまかり通っているのではないかと思う。
昨今の「シンドラーエレベーター」や「パロマ」の事故を見ても全てではないが「公器」の意識が低いように思われる。利益を上げることだけが「公器」ではない。従業員・取引先などへの利益もあってこそ「株主」の利益になるはずだ。「法人」を私物化するのはもってのほかであり、このことは出生率などにも影響していることは明白である。戦後の日本が「個人的」豊かさを犠牲に「組織的」豊かさを追求してきたからにほかならないと思う。
投稿者 Tsuguaki : 00:54 | コメント (0)
2006年07月25日
孔子の言葉
「我十有五歳にして学を志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。」
四十まであと三年。思えば自分の場合、十五の時は見事に「県立高校」に落っこち(地方なので)、三十の時(正確には三十一)には、選挙に「立ち」これも見事に落選。でも私は不幸だとは思っていない。人との出会いが私を救っている。出会いが無かったら私の人生なんてとっくに終わっていただろう。
四十に向かって自分の信念の確立に向け突き進んで行きたいと思っている。批判も承知の上、失うものはない。私の青春(やりたいこと)は学生時代には実現できないと思っていたのでこれからが私にとって青春が始まる。エンジン全開!まだまだ燃え足りない。素っ裸の自分を表現していきたい。
投稿者 Tsuguaki : 00:43 | コメント (0)
2006年07月23日
第2回高校生水郡線サミット
(茨城県立那珂高校にて)
自分の高校時代を振り返る時、ここまでの活動ができただろうかと思った。
大人の責務とは次の世代に何を残すかではないだろうかと思う。自分のことだけではなく後に続く人たちのために今何ができるのかをみなさんもちょっと考えてみてはいかがだろうか。考える人がいたからこそ今があるはずだと思う。
http://www.satake-h.ed.jp/18honkou/newpage2.html(水郡線サポーターズ高校生徒会連絡会)
投稿者 Tsuguaki : 20:26 | コメント (0)
2006年07月22日
「大阪市役所の挑戦(第6回)--職員厚遇の見直しが完了」の記事
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20060720/243790/
(日経BP・上山信一の「続・自治体改革の突破口」の記事)
この問題は日本の「組織」の問題を端的に現したと考えている。はっきり言えば、管理職も労組も「仲良しクラブ」に成り下がってしまったことだ。しかも、公務員であり「公僕」という意識が完全に欠如していることが問題だと考える。組織改革とは永遠であると考える。私は「現状でいいと思ったら生きた屍」だと自分自身に言い聞かせている。組織も同じである。「闘争とは内なる闘いである」と私は考える。
ある意味、旧来のイデオロギー闘争が外との闘いに向けられたが、内部崩壊には脆かったのと同様だと思う。もう一度、「公僕」の視点を取り戻さないと安易な「民営化」論に公務員が安楽死してしまうと思うのは私だけだろうか。
投稿者 Tsuguaki : 11:16 | コメント (0)
2006年07月20日
「互いを信頼できない日本人」の記事
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20060713/106184/
(日経BPの記事)
「同して和せず」から「和して同ぜず」に変わる必要があると考える。個人の集団が組織を形づくる。私が中学時代から問題意識を持っているテーマ。組織とは形のないもの、人がいなければ国家が成り立たないのと同じように組織は存在しない。抽象的なものから具体的なものへ。
人それぞれ、親や生きてきた環境が違う。「同じ」ではなく、「違う」視点からどの点で一致できるのかをそれぞれが考えること。それが、「和して同ぜず」なのではないだろうか。今までの日本の場合「同して和せず」だったのではないだろうかと考えている。個人が自立・確立した集団こそ本来の組織になるのではないだろうか。次代を切り拓くのはそんな組織であると思う。
決して日本が終わりなのではない。これから始まる、私はそう考えている。
投稿者 Tsuguaki : 21:50 | コメント (0)
2006年07月13日
暑中お見舞い申し上げます
こんにちは。子ピスコです。(扇風機の右の人形)
燃えるような暑い夏ですが、笑顔で夏をのりきりましょう!(ライター2個と扇風機より)
笑顔のコミュニケーションをつなげていきます!(ミニ電話機と携帯電話2台とPDAより)
夏バテで転んでも起き上がりましょう!(頂き物の起き上がりこぼしより)
本人は脱水症状気味です。(つぐあきより)
グッズ一同、ではなく一部でした。
投稿者 Tsuguaki : 22:34 | コメント (0)
2006年07月06日
やわらか戦車退却開始!???
何気に見たYahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060705-00000043-zdn_n-sci
思わず見てしまったlivedoorネットアニメ
http://anime.livedoor.com/theater/2.html
一人で”大爆笑”
”日本ブレイク工業”以来の私の既成概念が破壊された!こっちも退却開始~
投稿者 Tsuguaki : 00:41 | コメント (0)
2006年07月02日
「億万長者の寄付がトレンドに? 墓場まで大金は持っていけない」の記事
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2150859/detail?rd
(ライブドアニュース)
格差社会と呼ばれるようになって久しいが日本の「富豪」と呼ばれる人たちがいつから社会還元をあまりしなくなったのだろうかと考える。格差社会が進むことは貧富の差が激しくなるばかりでなく、「ジェラシー(嫉妬)社会」が進行することだと考える。日銀総裁の問題にせよ、美容整形医師の娘さんが誘拐された事件にせよ、危機管理能力が乏しい日本社会にとって格好の餌食になってしまうことが理解できないのだろうか。以前、バブル経済の時に流行った「メセナ」と呼ばれるように社会還元を流行と捉えてしまう日本経済のスタンスにも問題があると考えている。「生き金」と「死に金」の区別を理解する必要性を感じる。社会性とは何かが教育されていないせいだろうか。