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2006年06月21日
「<光市母子殺害>無期懲役を破棄、審理差し戻し 最高裁」の記事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060620-00000063-mai-soci
犯罪被害者の意思が司法を超えた画期的判断だと考える。以前から気になっていたことではあったが、「人権」を声高に叫んできたのは「加害者」を支援する人たちではなかったかと思っている。「人権」派と呼ばれている人たちには正直胡散臭さを感じて共感できなかったし、共感したいとも思わない。偽善あるいは屁理屈にしか思えない。
昨日の報道ステーションで遺族の方の話を聞き、この人たちを守れない社会とは何かを考えてしまう。被害者支援の活動が本当に正しいのかを被害者自身が自問自答し、悩みながら判断をしてきた姿に今までの「人権」とは何だったのかを問いかけたのではないかと考える。
私自身市民活動をしながら思うことだが、「本当に正しいのか」を自問自答している。活動とはそのような連続ではないかと思う。自分たちが「正義」だと思ってしまう危険性を常に孕んでいると考えていた中で、今回の発言は共感できるものであったし、加害者も被害者もない社会をつくるために私自身も何ができるかを考え続けていきたい。一市民として政治の責務は重いと思う。
投稿者 Tsuguaki : 2006年06月21日 00:10
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