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2005年08月31日
『「19年にダブル選も」小沢氏、再編視野に』の記事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050828-00000004-san-pol
私の人生の中で「9月」というのは「何かが」変わる月であることが多い。暑さもようやくやわらぎ落ちついて物事を考えることができるからかもしれないが。
私としても「良識ある保守勢力」の結集に向け、本質の「政界再編」への準備体制に入ります。政界再編という言葉はだいぶ飽きられている言葉ですが他に適当な言葉が見つかりません。政党のためではなく、国民のための政治を日本に取り戻すために原田つぐあきは今後、政党の枠を超えた活動を進めていきます。NPO活動も市民活動からの政治に向けたアプローチの一つだと考え、活動をしてきました。実は政治そのものであると考えています。今までの活動の原点に戻り、新たな出発をこの9月にしたいと思います。
投稿者 Tsuguaki : 16:26 | コメント (0)
2005年08月20日
Yahoo!オークション(smiley編29)
写真のない投稿と固い内容をここでブレイク!
先月末またまた「gets!」(古いギャグ~)本人はどうしているだろうか?
やっぱりスマイリーですがもったいなくて自転車には使えません。(自転車ロックです。)鍵までスマイリー!たまりません!
そういえば「自転車」を「じでんしゃ」と言ってしまう私です…
実はヤフオクではsmileyの他にも生活品を「gets!」しています。(カラーボックスやキャリーバッグなど)自宅でお得な買い物ができる社会というのは学生時代には考えられなかったことです(おやじ!とひとりつっこみ)。そろそろ「中年」と呼ばれる時代になったのかもしれませんが、「生きてる限りは青春だ♪」(石原裕次郎です)と思っている原田です。
追伸
最近、カラオケに行ってないなあ~。政治関係者でカラオケの嫌いな人はいないと思います。だって演説しない政治家はいませんよね!洋楽・邦楽・演歌そして軍歌も歌います。(最後は引く人もいるかもしれませんが)
投稿者 Tsuguaki : 16:27 | コメント (0)
2005年08月15日
「<世論調査>「間違った戦争」43% 「やむなし」29%」の記事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050814-00000044-mai-pol
私の父は大正15年(1925年)、母は昭和7年(1932年)生まれです。戦争中父は陸軍に、母は台湾に居ました。父は戦争のことは何も言わず、母は「仕方がなかった」と言うだけで両方とも逝ってしまいました。今となってしまえば本当のところはどうだったのであろうか?
戦後60年、日本は先人の努力(実は戦争特需?)により「物質的」に豊かにそして「武力戦争」のない平和な社会を築き上げたことには敬意を表するものではありますが、逆に「精神的」に貧しく、そして「企業戦争」はより激化していないだろうか?そういう意味では日本は「平和」ではないと高校時代から考えています。企業(法人)が活動していくことは同業他社などとの「戦争」であり、負けはすなわち「倒産」。現在問題視されている「談合」という風土もあり、一概にいうことはできませんが。
さて、現在も議論される課題として「護憲」と「改憲」がありますが、この分類からいえば私は「改憲」です。なぜならば現状のなし崩し的イラク派兵等を考えた時、憲法を都合の良いように解釈する傾向が強まっていると考えます。このまま行く方が日本が再び「戦争」への道を歩むのではないかと危惧しています。自国が「侵略」戦争をしないといっても「侵略」されたらどうしますか?「そんなことはありえない」と考えるとすれば「危機管理」のない国家ではありませんか?「国家」なんて意味がないとすれば誰が「国民」と「国土」を守るのですか?確かに現状の「自衛隊」は「軍隊」です。選択肢は①自衛隊を現行憲法にあわせてなくす②自衛隊を「国民」と「国土」を守る「軍隊」と定義する。の2つがあると思います。私は②です。「平和」を考えるからこそ「もしも」に対する備えが「国民」と「国土」を守る「国家」としての役割ではないかと考えています。
私は「軍隊」=「戦争」という時代ではないと考えます。阪神大震災や中越地震の時には自衛隊が大きな役割を果たしました。現代は「情報戦」の時代ではないでしょうか。「情報」を封鎖することで国民が思考が出来ないようにされている「国家」が近くにありませんか?「憲法をくらしに生かす・憲法を守る」のであれば国民生活に合っているのか絶えず検証する必要があると考えます。国民のための憲法かを議論して決めていくことが民主主義であると考えます。議論ができないのであればファシズムと同じだと思います。
やっぱり反日教育は問題だと思います。日本で反米教育をするようなものです。未来志向を自ら閉ざすことは国民にとっても国家にとっても有益とは思えません。
日本を愛しているからこそきちんと歴史を見つめ、新たなアジアとの関係を構築することが必要ではないかと思います。相手の意見も尊重した上ではっきりと意見をいう外交が必要です。どちらも尊い「命」が失われたのですから。-黙祷-
過去に盲目な者は未来に対してもなお盲目である。
(ワイツゼッカー元大統領/ドイツ)
投稿者 Tsuguaki : 10:44 | コメント (0)
2005年08月09日
「えだの幸男Eメールニュースレター」より
私はあまり政治家のメールマガジンは購読していませんが、枝野幸男代議士のメールマガジンは長い間購読しています。
http://www.edano.gr.jp(枝野幸男HP)
今回そのメールマガジンの中の一文が今の政治を言い表しているのではないかと思います。
『改革とか変革とかいう言葉は踊りましたが
前向きに何かが変わったという実感はありません。
それは「何を変えるのか」という本質について
きちんとした認識がないまま
言葉遊びが続いているからではないでしょうか。』
枝野さんは「税金の使い方」を変えることだと言っています。
私もそう思いますが、付け加えて「選択できる社会」に変えることだと思います。
例えば介護であれば①在宅介護②施設介護がどちらも安心して選択できる介護。
交通であれば①マイカー②公共交通がどちらも選べる生活ができる地域。
都市と地方の差が現状の改革ではますます拡がるのではないかと危惧しています。民営化することではなく民間の「やり方」を学ぶことではないかと思います。
民主主義とは何か、政党とは何かを政党人の一人として残念ながら閉塞感を感じています。
私の郷里の綿貫民輔前衆議院議長の「自民党を愛しているからこそ信念を貫く」姿勢には党を超えて共感するものがあります。民主党もこのような人を大切に育てなければ政権交代は不可能だと思います。新党さきがけから政治に関わって10年余り、これほど虚しさを感じた時はありません。
投稿者 Tsuguaki : 22:20 | コメント (0)
2005年08月05日
私の政局予想
私は「政局」と言うのは好きではない。国家百年を考える時、判断によっては小事に惑わされ大局を見失う場面も見られるからだ。しかし、政治生命を考える時、無視することができないのも「政局」だと思う。
あくまで、個人的な予想であるが、6対4か7対3で解散総選挙があるのではないかと考えている。私個人は今回は行動するつもりはない。ひよっとすると「郵政法案」が否決されても解散せず、内閣あるいは首相辞任の可能性もあるのではないかとも考えている。だから4か3割はないともいえる。
不毛な議論?の果ての解散であれば与党にとっても野党にとっても決して良いことではない。将来を見据えた本気の「ガチンコ」勝負をして欲しい。茶番であれば今度こそ国民から政治が見捨てられる時ではないかと思う。政界再編にはもう飽き飽きしている。まず、この「政治業界」を改革することではないかと感じている。権力にしがみつき、次の世代を育てない「年配者」と選挙マニュアルだけで本質を考えない「若手」が増殖すれば間違いなく日本政治は終わるであろう。もう終わってるのかもしれないが。