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2005年08月15日

「<世論調査>「間違った戦争」43% 「やむなし」29%」の記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050814-00000044-mai-pol
私の父は大正15年(1925年)、母は昭和7年(1932年)生まれです。戦争中父は陸軍に、母は台湾に居ました。父は戦争のことは何も言わず、母は「仕方がなかった」と言うだけで両方とも逝ってしまいました。今となってしまえば本当のところはどうだったのであろうか?
戦後60年、日本は先人の努力(実は戦争特需?)により「物質的」に豊かにそして「武力戦争」のない平和な社会を築き上げたことには敬意を表するものではありますが、逆に「精神的」に貧しく、そして「企業戦争」はより激化していないだろうか?そういう意味では日本は「平和」ではないと高校時代から考えています。企業(法人)が活動していくことは同業他社などとの「戦争」であり、負けはすなわち「倒産」。現在問題視されている「談合」という風土もあり、一概にいうことはできませんが。
さて、現在も議論される課題として「護憲」と「改憲」がありますが、この分類からいえば私は「改憲」です。なぜならば現状のなし崩し的イラク派兵等を考えた時、憲法を都合の良いように解釈する傾向が強まっていると考えます。このまま行く方が日本が再び「戦争」への道を歩むのではないかと危惧しています。自国が「侵略」戦争をしないといっても「侵略」されたらどうしますか?「そんなことはありえない」と考えるとすれば「危機管理」のない国家ではありませんか?「国家」なんて意味がないとすれば誰が「国民」と「国土」を守るのですか?確かに現状の「自衛隊」は「軍隊」です。選択肢は①自衛隊を現行憲法にあわせてなくす②自衛隊を「国民」と「国土」を守る「軍隊」と定義する。の2つがあると思います。私は②です。「平和」を考えるからこそ「もしも」に対する備えが「国民」と「国土」を守る「国家」としての役割ではないかと考えています。
私は「軍隊」=「戦争」という時代ではないと考えます。阪神大震災や中越地震の時には自衛隊が大きな役割を果たしました。現代は「情報戦」の時代ではないでしょうか。「情報」を封鎖することで国民が思考が出来ないようにされている「国家」が近くにありませんか?「憲法をくらしに生かす・憲法を守る」のであれば国民生活に合っているのか絶えず検証する必要があると考えます。国民のための憲法かを議論して決めていくことが民主主義であると考えます。議論ができないのであればファシズムと同じだと思います。
やっぱり反日教育は問題だと思います。日本で反米教育をするようなものです。未来志向を自ら閉ざすことは国民にとっても国家にとっても有益とは思えません。
日本を愛しているからこそきちんと歴史を見つめ、新たなアジアとの関係を構築することが必要ではないかと思います。相手の意見も尊重した上ではっきりと意見をいう外交が必要です。どちらも尊い「命」が失われたのですから。-黙祷-
過去に盲目な者は未来に対してもなお盲目である。
(ワイツゼッカー元大統領/ドイツ)

投稿者 Tsuguaki : 2005年08月15日 10:44

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