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2004年10月11日

市民とは何か

「市民」という言葉が広まって久しいが未だにご理解を頂けていない基本的なことを感じる時がある。
「市民」とは英語のcitizen(シチズン)であってcity(シティ…市)ではない。私は品川区民であるが決して区民運動とはいわない。「市民運動」から「何でも反対」のイメージを持たれてしまったのが問題だと思う。対案と対話のない運動は大衆運動ではないと私は考えている。
「自立した個人」というのが「市民」であると私は思う。学生時代にマスコミのアルバイトをしていたが基本的に人が書くものであり、社の方針や個人の意思が全く入っていない記事などはないはずであると考えていた。「この記事の本質は何か?」を見抜く教育が日本には欠けているのではないかと思う。このことがあって初めて「自立した個人」になるのではないだろうか。
経済的に自立することだけが「自立」ではない。精神的・思想的な自立こそ今必要なのではないだろうか。第二次大戦後の冷戦構造の中ではイデオロギーが対立概念として社会秩序を保つ重要な役割を果たしたが今はそうではない。個人にとっての「よりどころ」のない時代は逆に新たな概念の確立を模索するチャンスではないかと考えている。まだ答えは見つかってはいないが考えることは楽しみだ。

投稿者 Tsuguaki : 2004年10月11日 01:08

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