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2007年03月28日
大人がしっかりしよう!
allaboutより
「何のために勉強するの」にどう答えますか
http://allabout.co.jp/children/ikujinow/closeup/CU20070310A/
豊かさの果て。無気力に染まる子どもたち
http://allabout.co.jp/children/ikujinow/closeup/CU20070323A/
「学ぶ楽しさと意味」そして「社会性を育てる」教育が日本には決定的に欠ける学校教育をし続け、そのことを知らない子供が親になった結果、今の社会があるのではないかと思う。人間性及び資本主義社会の現実を無視した「イデオロギー」の中で「みんな」と言う概念のはっきりしないものに左右され「自己の確立」は置き去りにされてしまった。考えないことが楽な社会を作り上げてしまった代償はあまりにも大きい。政治に対して、社会に対して無関心になるのは当然の結果ではないかと考えている。
結局は物質的豊かさのみを日本は追求してしまったのではないだろうか。確かに戦後の貧しさから立ち上がらなければ生きていけなかった現状は否定するつもりはないが、その過程において人間の豊かさとは何であるかを見直す必要があったのではないだろうか。そんな姿を見せられては子供が気力がなくなるのではないだろうか。子供から見た時に大人が頼りにならなくて誰を頼ればいいのか。また、個人の確立より経済の発展を優先したことから未だに発想を転換できていない大人の方が時代に鈍感なのではないかと考えている。
机上論の「イデオロギー」と「経済成長」の幻想を捨て去る必要がある。次の世代にどんな社会を創って残していくのかを大人が考えなくてどうするのだ。また、自己を確立していないからこそ社会の木鐸となるべき「偉い」はずの人たちが買春や脱税など社会性のない犯罪に手を染めてしまうのは教育の欠如の結果ではないだろうか。人間として哀れであるだけでなく教育にも良くないことに気付いているのだろうか。
私は以前から言っているが、現状の高等教育(高校・大学)は半分でいいと考えている。学びたくない人に無理に行かせる必要はないと思う。また、就職に有利なための高等教育であれば意味がない。「いい学校を出て、いい会社に入る」と言うことのつまらない常識を捨て去る必要があると中学時代から考えていた。結局は{いい学校」で「不快」な「苦痛」に耐えた分だけ「いい会社」が採用してきたからだけではないのか。それは決して個人にとっても社会にとっても「いいこと」ではなかったことに対する反省が未だにないことが子供は直視しているからではないのか。自分が何をやりたいか、そのために何をしなければならないのかを自分で考える訓練を子供の時から身に付けなくてどうするのだ。幸いなことに今は私が学生生活を送った時代より選択肢が広がっている。学生の人と会っても優れた発想の人もいるし、NPOで社会に貢献しようとする人達も多くなってきている。ただ、私の時代のように画一化されていない分、ニートなど階層化されている危険性も持っていることもあることも認識している。
大人が自分も社会も考えない社会は子供だけでなく自分も不幸にすることをしっかり認識しよう!
投稿者 Tsuguaki : 2007年03月28日 12:22
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