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2005年12月07日

「福岡の女性保護事件 幼稚園前に就学断念 母親 子育て苦、思い詰める」の記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051207-00000026-nnp-kyu
「人権」について「被害者」の視点で語られることが少ないように感じる。「恥」の文化がある日本においては人と違うことが良くないこととされてきた。人と違って当たり前という社会造りが必要だ。障害を持っていても「義務教育」を受けさせなかった親には問題がある。法律整備も含め、「親は子を育てて守るもの」という固定概念を見直す必要がある。テレビでの「教育委員会」の対応も「所詮人事」のような態度が「教育者」としての自覚の無さを表している。安定した職場としての「公務員」を選んだとしたら「パブリックサーバント(公の召使)」ではなく、単なる「税金泥棒」ではないか。そんな公務員はいらない。
私も親から「私の作品」と言われたが、徹底的に親とは闘争をした。怒鳴り合いなど日常茶飯事。自我を阻むものは親であっても闘いそして乗り越えていくものだと考えている。私に子供ができれば子供に対してもそうしていくつもりだ。親も他人、それぞれの人生を歩むことが健全な親子関係ではないかと思う。私は両親に対してはそう思っていた。「愛情」という名の下、自己と他者の区別が親子の場合にできなくなることがこのような悲劇を生む温床になっているのではないだろうか。儒教的思想が問題の本質を阻んでいる一面はないだろうか。ネグレクト(育児放棄)した親からは社会が引き離して育てることが子供だけでなく親の将来にとっても良いことなのではないだろうか。どちらも一人の人間として「自立」していないのだから。個の「自立」を考える教育が日本には必要だ。

投稿者 Tsuguaki : 2005年12月07日 22:26

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