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2005年09月19日

私のスタンス②交通について

慣れてはいるが「鉄道」の市民活動というと「趣味的」と言われることが多い。私としては確かに最初は趣味的であったと思うが、今は違う。むしろ「政治的」と言ったほうが正しい。みなさんは学校・会社・買い物・病院・旅行に行く時そして荷物を送るために徒歩・自転車・バス・電車・自動車・飛行機・船舶を使うと思います。使わない人はいないはずです。どの手段を使っていくのかが違うだけです。地方においては選択の余地がなかったり、少なくなってきている現状があります。単に郷愁として考えているわけではありません。地域・国家の明日を考える時、今あるインフラを活用し、公共投資を少なくすることが未来への世代に負担の少ない社会をつくることだと思います。それが大人の責務であると考えています。
私が選挙に立候補した原点はそこにあります。生意気と言われようが私の郷里のローカル線が廃止になったことがきっかけです。地域の明日、そして日本の明日を小学4年の時に危機感を覚えたからです。これは政治の全てではありませんが、少なくとも選挙をお手伝いしたから、議員と会ったから、勉強会に参加したから政治を考えた訳ではありません。25年間考え続けていることです。私はこの「鉄道」に生き、そして死ねたら私としての「男の本懐」であると考えています。だから、「鉄道」の市民活動をしている訳です。多くの地域の人の「想い」をしっかり認識し、明日の地域・日本を考える、まさに「政治」ではないでしょうか。各地に出かけていくとひしひしと感じます。
私が立候補してから2回衆議院選挙が行われましたが私は立候補しませんでした。政治の立場からすると活動を継続することが求められ、「常識外」の行動、あるいは活動放棄ともとれることは承知の上です。しかし、「市民主義」に立脚しない活動そして原点を失ってまで「議員バッチ」は欲しくはありません。まあ、活動するにはお金も必要ですので。しかし、有権者に媚びた政治ならやりません。
私のホームページでは「交通事業」と「政治事業」と分類していますがこれは個人活動も企業活動と同じであるという観点からこう呼んでいます。しかし「鉄道」の市民活動の立場では私は「政党人」ではありません。あくまで「中立」の立場をとります。むしろ「政治」の頼りなさを感じています。
表現が適切でないかもしれませんが、「鉄道」の「解放闘争」であると考えています。障害者や部落問題でもそうですが、長年に亘って活動してきた結果が現在の状況を形作っています。誰も見たことのない明日を確かなものにしていくために私は「鉄道」の分野において人生の全てを賭けて活動をしていきたいと考えています。それだけの価値があると私は思います。

投稿者 Tsuguaki : 2005年09月19日 00:11

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