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2006年11月23日

『民主党「何でも反対」戦術のほころび』の記事

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/y/35/
いつから「社会党」と同じになってしまったのか。政権交代可能な勢力を目指すのなら、自民党の発想を飲み込むくらいの貪欲さが必要だったと思うのだが。政策的に水と油ほど違う社民・共産党と組むことは自滅を意味するのではないだろうか。
野党であれば何でも組むという今の民主党には共感できない。これでは自治体の「談合」批判など言えないであろう。これこそが談合ではないか。闘争をするなら本気の闘争をしなければ有権者に見限られるだろう。
今の日本は十分平和である。むしろ平和ボケの感がある。戦前生まれの親に育てられた私としては「平和」を叫ぶ集団の胡散臭さを感じている。悪いが偽善者にしか見えないのだ。親とは本気で戦争について闘争しているから、私は外に向けて「平和」を言うことはない。むしろ現状の自衛隊の置かれている立場の方を憂いている。憲法があるから「平和」なのではなく、米軍と自衛隊が守っているから「平和」を享受することができるのではないのか。
文中の「風任せ」体質は以前からあったし、小泉政権において自民党までまねをしてしまった罪は大きい。まったく進歩していないとしか言いようがない、敵失の勝利を自分たちの勝利を勘違いしている感がある。悪貨は良貨を駆逐する状態がさらに進展していると感じている。良識ある党人は表舞台には出れないのか、または出て行ってしまったのか。外野に近くなってしまった私には分からない。
政界再編には飽き飽きしているが、自民党も民主党も分裂・解体して「良識ある保守」政党と「ポピュリスト保守」政党に分かれた方が有権者にとってもこれからの日本にとっても分かりやすく希望が持てる政治が実現できるのではないかと最近考えている。

投稿者 Tsuguaki : 2006年11月23日 23:32

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