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2005年09月12日

これからの日本政治について(案山子の反乱)

※「ムネオの反乱」(新党大地鈴木宗男代表)をパクッちゃいました。m(_ _)m
10余年前「改革」を旗印に躍進した政党があった。その名は「日本新党」(新党日本ではない)。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いがあったこの党は今はない。当時言われたのが「日本新党であればサルでも当選できる」と揶揄された。昨日の選挙結果は「日本新党」が「自民党」に変わっただけで本質は同じではなかろうか。これまで民主党がとってきた「案山子候補」をパワーアップした「刺客候補」戦略。徹底した(と言っても郵政のみ)の「排除の論理」の候補擁立。政治に関心の無かった層へのアピール。どれをとっても「アッパレ」であった。しかし、人を育てない・育たない政治を「自民党」にも創りだしたと言える。2~3回選挙を続ければ間違いなく自民党から「政党人」はいなくなってしまうだろう。激減した民主党と同じように。郵政民営化だけの一致では収拾のつかない政党になることは明白である。
5年前17238名もの他人の私の名前を書いて頂いた皆様には今でも感謝しています。「案山子候補」の一人として今でも民主主義の重さを感じ、恩返しができていないことを深くお詫び申し上げます。(票数に1人足りないのは私が私に1票入れたからです。)思い出すと私が候補に決まった(らしい)過程は最初に某新聞社の編集部長が私の勤務先に訪ねてきたことだった。私の表の経歴には無いのですが(アルバイトだったので)大学時代にマスコミの仕事をほとんど学校に行かずにしていたので(3年程)、感覚的に「勝てないし、居残ることができない。潰される」とその時に感じていた。案の定、党内の「内ゲバ」に終始し、本当の選挙選を戦うことができなかった。所詮「社会党」から単に「民主党」と看板を架け替えただけの地方組織では全てではないが「地域」も「天下国家」を語ることができない議員がたむろしているということだった。一番許せなかったのは私を支えてくれた友人に対して議員達が延々と説教をしたことだった。10年選挙の前線に立ってきた私としては「勝ったことの無い選挙」しかしていない党人からの意見ほど無意味なものは無いと考えている。私の立候補にあたって一番お世話になった人(元議員)を私の選挙で蚊帳の外に置いたことも心底許しがたいものだった。今まで私は人を恨むことは無かったがこの件で初めて感じた。最近ようやく消えてきた。
政治は嫌な世界である、しかしこの世界、「人間の本質」が見える。ある意味楽しい。私も日本人、政策も必要だが義理人情も大事だと思う。やっぱり浪花節!案山子にも意思がある。喜怒哀楽のある人間であり続けたい。愛するふるさとと日本のために。

投稿者 Tsuguaki : 2005年09月12日 10:12

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